トルコ(イスタンブール・トロイ・エフェス・パムッカレ・カッパドキア)の旅

(H21.10.14.〜22)

キリスト教文化が残るイスラムモスク・アヤソフィア 世界遺産カッパドキアの奇岩群

ヨーロッパとアジアの架け橋トルコへ行ってきました。ビザンチン帝国時代からオスマン朝時代まで首都だったイスタンブール、トロイの木馬で有名なトロイ遺跡、円形劇場などの古代遺跡が残るエフェス、石灰棚に温泉がわくパムッカレそして今回のハイライト世界遺産カッパドキアをまわってきました。

日本の約2倍の国土に観光地は点在しておりバスと夜行列車での移動にかなり時間がかかりました。1週間で約2700Kmと福岡と東京間を往復しても余りある距離でした。

今回は移動の効率化や時にはお任せの旅をしたいと言う希望もありツアーへの参加となりました。メンバーの皆さんとトラピックス添乗員のYさんそして心のこもった説明をしていただいた現地ガイドのニハットさん!大変お世話になりました。

ツアー料金が他エリアに比べ安いなーと日頃思っていましたが、決して物価が安いわけではなく政府が補助をしていることが分り納得しました。補助もいつまで続くか分らないそうなので行きたい方は早目の旅行がお徳かと思います。


・10月14日(水) 福岡からソウル経由でイスタンブールへ

佐世保発8:30の高速バスで福岡空港国際線へ。ツアー会社からチケットを貰いチェックインする。今回は久しぶりの大韓航空利用だ。ヨーロッパ方面へは成田よりもはるかに近くて便利だがマイルが貯まらないのであまり最近は利用していない。

大韓航空KE−788便は10:30に出発。軽食が出て1時間ちょっとで
ソウルイーチョン空港へ到着。巨大なハブ空港だ。

最近話題になっている日本の成田や関空が国内への乗り継ぎのため大事なお客さんに重い荷物を持たせ羽田や伊丹に移動させる世界的にも人気のない空港に比べ羨ましいかぎりだ。ぜひ羽田のハブ化を進めて欲しい。

ここで添乗員Yさんのもと今回のメンバー28人が集合する。私も含めて年配の方が多いか?

大韓航空955便 イーチョン空港には多くの店が

14:20発KE−955便でイスタンブールへ。19:30イスタンブールアタテュルク国際空港へ到着。時差が7時間あるため12時間の空の旅だ。入国を済ませ現地通貨へ両替えする。1トルコリラは約60円で数年前に比べてかなり円高になっているのは嬉しい。

今夜の宿は空港近くの
ワオ・イスタンブールホテル。5星ホテルだそうで今回のツアーは全て高級ホテル、個人旅行では味わうことの出来ない所ばかり相方は大満足でした。

・10月15日(木) イスタンブールからトロイ遺跡へ

朝食はバイキング。この時期日没時間が早いため出発は7:30と早い。イスタンブールは
ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側アジア側に分かれており、ホテルはヨーロッパ側にある。ツアー専用バスで海沿いに西へ向かいゲリボル半島へ。

流暢な日本語で案内する現地ガイドの
ニハット(2羽の鳩と覚える)さんは日本語の弁論大会で優勝されたそうだ。

アジア側へ渡るフェリー乗り場近くのレストランでサバ料理の昼食。トルコではほとんどの人があまり魚を食べないそうだ。ざくろジュースを飲んでみる。甘い。

フェリーで1時間足らずで
ダーダネルス海峡をヨーロッパ側からアジア側へ渡り、そのままトロイ遺跡へ向かう。

早朝のワオ・イスタンブールホテル フェリーでアジア側へ

エーゲ海沿いにあるトロイの歴史は古く紀元前3000年ごろから始まる。その後栄えては滅びると言う歴史を繰り返すが、特にトロイの木馬で有名なギリシャとの10年にも及ぶトロイ戦争で敗れ滅亡する。

木馬伝説を信じたドイツの
シュリーマンが19世紀後半に私財を投げ売って発掘し遺跡を発見、その後現在も作業は続いている。

長い歴史の中トロイは紀元前3000〜2500年ごろの1層からローマ時代の9層にわたり各時代の都市遺跡が複雑に重なって残っている。

遺跡の入口には近年観光用に建設された巨大な木馬が建っている。遺跡をまわると各時代の城壁、城門や神殿跡などを見る事ができる。

巨大なトロイの木馬 トロイの遺跡

残念ながらほとんどが廃墟になっているため見ただけでは何かがよく分からないが、他の地域に大きな影響を与えるなどその歴史は素晴らしい。

東の塔と城壁 ローマ時代のオデオン小劇場

右側にエーゲ海を見ながらバスは今日の宿泊地アイワルクに向かって南下する。生憎遺跡見学の頃から小雨が降ってくる。エーゲ海沿いにはリゾート地が多くまた別荘が多い。

なんでもトルコは定年が以前は40才ですぐ年金がもらえたため定年後別荘を持つ人が多かったとのこと。夏季にはヨーロッパなどからも多くの人が訪れるそうだ。

トルコは大変な
親日国家。その理由の1つは明治23年親善で日本を訪れた使節団が乗った軍艦が帰路和歌山県沖で遭難し587名がなくなった。事故のおり、現地の人の必死の救助活動で69名を助け、また遺体の収容を行った。

全国からは義捐金が集まり、救助された方の治療と介護を行った後、軍艦2隻でトルコへ送り届け大変な感謝を受けたことにあるそうだ。

最近ではイラン、イラク戦争開戦前命がけでトルコからテヘランの空港へ邦人の救出に向かってくれたことなど暖かい交流が続いている。

今日の宿
グランドテミゼルホテルへ到着。海岸沿いのプールつきのリゾートホテルで、眠るだけではもったいない。ほとんどの宿泊客は日本人でした。今日の移動距離は約500Km。遠い!

・10月16日(金) アイワルクからエフェスの古代遺跡とパムッカレへ

7:30出発。ツアー恒例のトルコ石の店を見学した後エフェスへ向かう。途中トルコ第3の都市でエーゲ海地方最大の工業貿易都市
イズミルを見ながらエフェスへ。

ニハットさん作成の地図・赤線が今回のルート

エフェスは紀元前11世紀頃ギリシャからやって来たイオニア人により建設された都市国家。最も繁栄したのはローマ時代で約10万人が暮らしたと推定され、当時の建築物が一番残っている。

ヴァリウスの浴場、音楽堂オデオン市公会堂の跡を見てヘラクレスの門へ。ヘラクレスの彫刻をしたこの門の上に勝利の女神ニケのレリーフが乗っていた。スポーツ用品会社ナイキのマークはこれからイメージされたものだ。

ヘラクレスの門 勝利の女神ニケのレリーフ

ヘラクレスの門から続くクレテス通りの両側には皇帝トラヤヌスに捧げられたや皇帝ハドリヤヌスに捧げられた神殿などが続く。

クレテス通り トラヤヌスの泉

丘の上の住宅と言われる上流階級の民家跡の入口には見事なモザイク模様が残されている。

クレテス通りのモザイク模様 ハドリアヌス神殿

クレテス通りの突き当りには、ローマ帝国の執政官ケルススの息子が築いたケルススの図書館がある。ここに12000巻の書物が貯蔵されていたという。

ケルスス図書館 添乗員のYさんとニハットさん

図書館からは向かいの娼館へトンネルが通じており、また道路わきに娼館への案内図が残っているのは面白い。2万人以上を収容できた大劇場を見学しアルカディアン通りを歩いて出口へ。

キリストの死後、使徒ヨハネは聖母マリアを伴って移り住み余生を過ごした地としても知られている。

イタリアのポンペイに比べ規模は小さいようだが当時の建物や生活模様がよく残されていて見ごたえがあった。

娼館への案内図 アルカディアン通りから見る大劇場

次に近くにある豊穣の女神アルテミスの神殿跡へ。当時は円柱を127本持つ壮大な神殿だったようだが今では1本を残すのみの廃墟になっている。世界7不思議の1つだそうだ。

最後は革製品の店へ。美男、美女そしてお客さん飛び入りのファッションショーが行われ盛り上がった。

アルテミス神殿跡 革製品のお店でのファッションショー

次の観光地であり今夜の宿であるパムッカレへ移動。約3時間で到着しホテルポラットサーマルへチェックインする。ここは温泉保養地でホテルにも温泉がある。今日の移動距離450Kmでした。