古代文明の国エジプト・ギリシャの旅

(H16.6.20〜7.4)

5000年の歴史を持ちピラミッドやツタンカーメンなどで有名な古代文明の国エジプトとオリンピック開催が間近のギリシャへ6月20日から7月4日まで行ってきました。初めてのイスラム圏の旅で随分戸惑うことも多く、失敗やトラブル、出会い有りの思い出深い旅でした。

6月20日  福岡からシンガポール経由でカイロへ

心配していた大型台風も九州上陸は明日、10:40発シンガポール航空でなんとか無事シンガポールへ向け出発、15:40到着、カイロ行きは深夜発のためトランジット客向けの無料市内ツアーへ応募するが満員でだめ。映画を見るなどして出発を待つ。23:25発ドバイ経由でカイロへ、機内はアラブ系の人ばかりで日本人は見当たらない。

6月21日  カイロ

朝6:25カイロ国際空港へ到着。入国の前に銀行の勧誘が寄ってくる1人15US$のビザ購入と1万円をエジプトポンドへ両替する。1ポンド17円とレートは非常に良く汚い札束をくれる。多すぎたかな、数えてみたが大変だ。

外に出ると今度はタクシーの勧誘がすごい。これから先この勧誘のしつこさには行く先々で往生するがこれもこの国の文化のひとつだろう。タクシーでホテルまで行くことにするが、このタクシーがまたひどい、ドアなどは壊れかけまるで廃車置場から持ってきたようで、もちろんエアコンはついていない。エジプトのタクシーにはメーターはついておらず、料金は45ポンド(約800円)と言う。相場は25ポンドらしいから日本人と見てぼったようだ。

ホテルルナはカイロの街中ビルの5階にあるが入り口が分かりにくく探すのに苦労する。やっとたどり着くとエジプト人のフロントマンが予約はないと言う。インターネットの予約表を見せてもないと言う。えっそんな!何とかバストイレがない部屋に入れてもらうもエアコンがうるさく落ちつける部屋ではない。結局後で予定の部屋に変えてもらう。バストイレ朝食付ツインで約1800円とかなり安い。

エジプト国内の列車や飛行機などをインターネットで予約していた現地の旅行代理店ナイルメロディーへ行くため初めて街へ出る。周囲はすべてエジプト人でヨーロッパに比べると何か違うような雰囲気を感じる。これも数日たつとなれてきたが。日本人と見ると片言の日本語で声をかけてくる。

ガイドブックの地図で探すけど代理店がなかなか見つからない。看板はアラビア文字ばかりでさっぱりわからない。だんだん心配になってきた。何回か前を通りすぎたビルに入ってみるとここの3階だという。代理店には高知出身の和田さんと言う日本人がおられ色々アドバイスをもらう。

次に歩いて
エジプト考古学博物館へ。途中驚くべき体験をする。目の前に道路を挟んで博物館が見えてきたが、どうしてこの道路を渡るの?信号、横断歩道など全くない。片道4車線(実際は車線など無く適当に流れている)でひっきりなしに車が流れている。しかし良く見るとそこを縫うように人が渡っているのだ。ついに我々も交通警官がいる場所でエジプト人について渡るが本当に怖かった。たとえ信号があっても全然守っていない。

考古学博物館には古代エジプトの王様達の宝飾品やミイラなどが展示されているが、特に
ツタンカーメンの秘宝が有名だ。彼の墓は後日行くルクソールの王家の谷にあるが、死亡したのが18才と若く比較的墓が派手でなかったために盗掘を免れたそうだ。薄暗い部屋で光り輝くツタンカーメンの黄金のマスクと感動の対面をする。

ホテルで翌日のピラミッドツアーとその後のアスワン、ルクソールなどでのツアーを勧められ350US$で予約するが、どうも考えれば考えるほど高く思えて翌日のピラミッドツアーを除いてキャンセルする。着いたばかりでしつこい勧誘のうえにエジプトポンドとドルで話すのでつい乗ってしまったが、後で実際のお金を計算してみてもはるかに高いツアーであった。

この季節暗くなるのが8時から9時ごろで、その頃から一段とホテルの外が賑やかになってきた。ベランダに出てみるとなんと人がだんだん増えてきている相変わらず車が警笛を鳴らしながら走っており、その中を人が車を縫うように道路を横断している。良くはねられないものだ。この騒ぎは深夜まで続いた。どうやらこれは毎日のようで。要は日中暑いので涼しくなってから買い物などに出歩くようだ。

6月22日  ギザのピラミッドとスフインクス観光へ

朝からピラミッド観光へ。マイクロバスにお客は我々2人だけ。この時期は夏でありエジプトはオフシーズンなのだ。ガイドのアイマン君28才は日本大使館で仕事をしたこともあるそうで日本語は上手だ。

有名なギザのピラミッドは後で行く事にして、まずその前身となるサッカーラにあるジオセル王の
階段ピラミッドへ向かう。入口には軍隊や警察官が銃を持ち警備している。この先至る所で軍隊と警察が厳重に警備している。ここはエジプト初めてのピラミッドと言われており高さが60mで6重の階段状になっており独特の形をしている。

次にダフシュールの
赤のピラミッドへ。高さは105mだが角度がゆるくどっしりとしている。ガイドの勧めで中に入ってみる。狭い急階段を中かがみで降りていくが中には特に何も無かった。まだギザのピラミッドにも入る予定なのに疲れてしまう。

エジプト絨毯とパピルスの店へ連れて行かれる。向こうも仕事だろうから黙ってついていくが、もともと買う気は無いので盛んに勧められても聞き流す。昼近くになるとだんだん暑くなってくる。いよいよ本命の
ギザのピラミッドへ向かう。まず全体が見渡せるビューポイントへ。砂漠の中にクフ王カフラー王メンカウラー王の3大ピラミッドが並んだ雄大な景色は写真の通りだ。

約4500年も前に造られたとは。近づいて見るとピラミッドの巨大さやひとつひとつの石の大きいことには驚く。ナイル川上流から石を運んできてよくぞこんなに大きいものを造ったものだ。

歩いて坂道を降りて行くとあの
スフインクスが見えてくる。顔は人間、身体はライオンの姿をし、ピラミッドを守るように座っている。顎のひげは大英博物館にあるそうだ。高さ146mで最大であるクフ王のピラミッドの中には1日300人しか入れない。今回是非入りたかったので午後一番に時間を合わせたのだ。テレビで中の様子は見たことがあったが入口は狭い。

細いトンネルをそして急勾配の回廊を中かがみで登ると天井の高い回廊に出る。そこをさらに登って約150m行くと王の玄室に出る。巨大ピラミッドの中にこんな部屋があるなんて。そしてその中に自分がいるなんて不思議な気がする。中には特に壁画や装飾品は無いが換気口もついている。出発の直前に「何故ピラミッドは造られたか」と言うテレビ番組で最近の説として公共事業説がかなり信憑性が高いと言っていた。

ナイル川が毎年氾濫したときに仕事を与えるためにピラミッドを造ったらしい。また氾濫で材料の大きな石もはるか上流からピラミッドのすぐ近くまで船で運ぶことが出来たようだ。でもガイドは墓だと言っていた。

ピラミッドが見えるレストランで昼食、エジプト料理のバイキングだ。ホテルへ向かう途中の住宅はかなりごみごみしている。ガイドによると金持ちは約1割でほとんどが貧困層とのこと。それは行く先々で良くわかった。

今夜は8時の寝台列車でアスワンへ向かう予定だ。キャンセルした分のドルを返して貰うためオーナーがくるのを待つ。何故キャンセルするのかとしつこく聞くが自分達でまわりたいことを強調し230US$を返してもらう。駅まで送ると言っていたが機嫌が悪くその気配も無い。

ホテルの前でタクシーを拾う。30ポンドいう。どうも交渉は難しい。駅に着くとさっきまでホテルにいたヨーロッパ系の夫婦と会う。タクシー料金を聞くと5ポンドで来たと言う。そんな!後で聞いたことだが交渉はしないほうが良いとのこと。相場を知っておいて黙ってお金を置いていったが良いとのことだ。でも日本人と見るとぼってくる。

カイロの本駅ラムセス駅に着くとポリスが切符を見せろと言い、ついて来いと言う。こわごわ付いて行くと乗り場を教えてくれた。親切だ。駅には日本と違い列車の時刻表示やホームの表示などは全然なくとても分かりにくい。オリエント急行などで有名なワゴンリー社が運営する寝台列車はコンパートメント方式で2人で1部屋になっておりホテルに泊まるようなものだ。

料金は1人50US$で夕食と朝食がついている。ナイル川沿いに一路アスワンダムがあるアスワンまで南下する。出発するとすぐ飛行機の機内食のような夕食が運ばれてくる。エジプト料理なかなか口に合わない。夕食後同じ人がベッドメーキングにくる。その時私のチップは何時くれるかと催促される。5ポンド渡すともう5ポンド催促される。ベッドは2段になっており少しゆれるがゆっくり休むことが出来た。