オランダ・ベルギー・ドイツ・チェコの旅

(H15.5.13〜26)

オランダのザーンセ・スカンス風車群 チェコのカレル橋とプラハ城


チューリップの花、風車、水のある風景が続き、約400年前に日本との交流が始まりそして長崎の出島や佐世保のハウステンボスなど当地とも縁が深いオランダ、EUやNATOの本部があり欧州の中核的存在のベルギー、東西統一後の開発・復興ラッシュが続くドイツ、中世の町並みをそのまま残す魔法の都プラハが代表するチェコへ行ってきました。

オランダ、ベルギーがスペインに支配されていた時代があったとは?またフランス・ナポレオンの名前も良く出てくる。何回も侵略され、支配され、ヨーロッパには島国日本では考えられないような歴史の深さを感じる。歴史に翻弄されながらもたくましく生きてきた人々の姿がそこにある。

ドイツはまだまだ東西の格差は残っているように感じる。プラハをはじめヨーロッパの各国では自分の国の文化財を大切に保存し、戦争で破壊されても元のままに復元しているのは印象的だ。またそれを見るために多くの観光客が訪れている。

今回も2人だけの自由旅行でしたが、失敗やトラブル有りそして出会い有りの思い出深い旅でした。

5月13日  福岡からオランダのアムステルダムへ

唐津経由で福岡へ、駐車場に車を預け福岡空港国際線へ。空港の銀行でユーロに両替をして、10:00発大韓航空でソウルへ、ソウル、チューリッヒ経由でアムステルダムスキポール空港へ向う。平常は毎日運行しているがSARSの影響でお客が減少したため週2便に減便され機体もジャンボから中型機に変更されている。

ソウルの
イーチョン空港も心なしか人が少ない。去年のワールドカップサッカーの時が嘘のようだ。13:05にソウルを出発、定番のビビンバを食べ、ビデオで映画を鑑賞し現地時間(日本との時差7時間遅れ)17:55にスイスのチューリッヒ空港に到着。ここで乗換えて21:15やっとスキポール空港に到着する。

ソウルのイーチョン空港

暦上はその日に着いたのだが日本時間ではもう翌日の午前4:15、それを考えると眠たくなる。アムステルダムは曇っていたがこの時間未だ外は明るい。入国はパスポートを見せるだけ。バッグを受け取り、空港地下の鉄道駅からアムステルダム中央駅へ約20分、そこからタクシーで今日の宿ベッド&ブレークファースト(B&B)へ向かう。

なんとナビゲーター付きのハイテクタクシーだった。住所を聞いただけで目的地までの地図が立体映像で出ている。すごい!おかげで無事到着、ご主人のカルロス・デグチさんの出迎えを受ける。

オランダの家は入り口の広さで税金が変わったらしく入り口は狭く奥と上に細長く作られており我々の部屋は4階のロフトだった。

驚いたのは彼のおじいちゃんがなんと我々と同じ
佐世保生まれのブラジル移民だったのだ。ネットで予約し確認の電話をいれた時に思わぬ日本語が飛び出しお父さんが日本人だと言っていたが。地球は狭い!

5月14日  アムステルダム市内観光

その名のとおりアムステル川をダムでせき止めて作られた町アムステルダム、中央駅を中心に多くの運河が扇状に広がっている正に水の都だ。また、17世紀には東インド会社の本拠地が置かれ、7つの海へ乗り出した海洋王国オランダの中心地でもある。

今日は生憎の小雨模様、寒い!カーデガンとジャンパーを着込んで出かける。B&Bのすぐ横にあるアムステルダムに残る唯一の木造はね橋「マヘレのはね橋」を横に見て、朝一番でアンネの日記の舞台となったアンネ・フランクの家に行く。

マヘレのはね橋 アンネ・フランクの家


もう団体が並んでいた。3階へ進み映画でも見た本棚が隠れ家の入り口になっており、その先に3階、4階の部屋と屋根裏部屋がある。意外と広い部屋には驚いた。前述したような家の作りがナチの手を逃れ、隠れ家を可能にしたのだろう。

当時のままの部屋が残されており、中には直筆の日記や当時の記録などが展示されている。残念ながら終戦の前年に密告により発見されお父さん以外の家族全員が
アウシュビッツで亡くなったのは痛々しく、また、この日記が全世界の人々の心をうつのであろう。

この町の発祥の地ダム広場へ。ナポレオンの弟が使った王宮、歴代のオランダ国王の戴冠式が行われる新教会が周囲に有り多くの観光客が集まっている。

マダム、タッソーろう人形館は入場料が高いのでパス、メーンストリートのダムラックを歩いて
アムステルダム中央駅へ。ルネッサンス様式のこの駅は東京駅のモデルとなったところであり、さらに佐世保のハウステンボスにある全日空ホテルもここそっくりに作られているのだ。

ダム広場の王宮と教会 アムステルダム中央駅

中世の見張り塔だったムント塔と運河の横にホテル・デ・ヨーロッパがある。ハウステンボスのホテルヨーロッパはここをモデルにして造られている。少し小型だがそっくりでまるでテンボスにいるようだ。

ムント塔 ホテル・デ・ヨーロッパ

ムント塔近くの運河沿いみあるシンゲルの花市ではチューリップの球根など花々が売られていた。

国立オランダ海洋博物館へ。大航海時代に繁栄したオランダの船の模型や貯蔵品などが展示されオランダの歴史を見ることが出来き、また帆船アムステルダム号が見学できた。中でも長崎出島の展示コーナーではあらためて長崎との関係の深さを痛感した。

シンゲルの花市 国立オランダ海洋博物館

トラムの1日乗車券を購入してゴッホ美術館へ。名画ひまわりや自画像などを見学、日本の浮世絵に興味を持ち模写をしていたのには驚かされた。

夕食をしようとダム広場の近くを歩いていると小さな中東系の店の主人がさかんに誘うので入る。写真で表示してあるメニューでビーフを注文して半分食べた頃に3人の客が入ってきたが、終わった、終わったと言いながら客を返している。

なんだこんな早いのに?そのうち入り口を閉めて電気も消してしまう。どうしたの?そのうちポリス、ポリス…と言いながら我々にも帰ってくれと言う。とうとうお金も取らずに追い出されてしまった。

何か悪いことしてるの?結局ただで食べてしまったが、この後食べることではもうひと波瀾がベルギーで待っていた。