10月29日 ホーチミンからアンコールワットへ

今日は空路アンコール遺跡があるカンボジアのシェムリアップへ行く。朝4:30ホテルをチェックアウト、フロントの女性は眠たそう。タクシーで空港へ。運転手さんは日本語が上手で良心的な人だった。後日悪いタクシーにつかまることになるが。

ベトナム航空でチェックインを済ませ税関を通り空港税1人12$を支払い出国へ進む。かなりの観光客が並んでいるがなかなか事務が始まらない。やっと5:30になって担当者がやってきた。大切なお客さんを30分近くも立たせたまま待たせるとは。

6:25発ベトナム航空はなんとプロペラ機だった。有名なアオザイを着たスチュワーデスさんはとても魅力的だ。この民族衣装はとてもスマートに見せる。約1時間の飛行だが生憎と雲の上だった。着陸体制に入ると左手に大きな湖が見えてきた。世界一の淡水魚の宝庫トンレサップ湖で雨季には琵琶湖の15倍ほどにもなるそうだ。

無事にシェムリアップ空港へ到着。ベトナムは15日以内であればビザが要らないが、カンボジアは必要だ。1人20$と写真が1枚あれば空港で簡単に取ることが出来る。

空港を出ると大勢の人が待っており、現地ガイドのカンボジア人ポーキーさんと運転手のキャムランさんがアルファベットで書いた名前を掲げて迎えてくれた。今回のお客は我々2人だけで貸切だった。

アンコール遺跡とは9世紀から15世紀にかけここを中心に、最盛期にはタイ、ベトナム、マレー半島の一部までを治めたクメール王国遺跡の総称で、シェムリアップはアンコールワットやアンコールトムなどの遺跡群の観光拠点として近年お客も増え、ホテルなどの建設ラッシュが進んでいる。

さっそく
アンコールワットの見学へ行くことに。遺跡の中心となるアンコールワットは12世紀前半にスールヤヴァルマン2世によって造られたヒンドゥー教寺院で、1860年にフランス人により発見されまでジャングルの中で長い眠りについていた、また最近まで内戦で近づくことが出来なかった遺跡だ。それだけに世界中の多くの人を引きつける魅力がある。

日本人では遠く江戸時代1632年に森本右近太夫という侍が参拝し墨で落書きを残したり、近年ではアンコールワットの写真をなんとしても撮りたいと内戦下に訪れ1973年スパイとして処刑された佐賀県武雄市の報道カメラマン一ノ瀬泰造さん(「地雷をふんだらさようなら」で映画化)などの人がいる。

町から北へ行くと途中チェックポイントがあり、入場料3日間40$と写真1枚を渡す。写真入の立派なネームプレートを作ってくれた。これが各遺跡のパスポートになる。

更に行くと大きなお濠に突き当たる。アンコールワットは南北1300m、東西1500mの濠で囲まれ、ほとんどの遺跡が東向きに立てられているのにここは王様の墳墓でもあるため西向きに建てられている。このため午前中は逆光になり観光客は午後が多くなる。西側参道の入口に立ちはじめて見るアンコールワット。ここからは西塔門の後ろに中央尖塔がわずかに見えるだけで写真で見る様なあの壮大な姿はまだ見ることは出来ない。

お濠に咲く蓮の花を見ながら石畳の参道を西塔門へと歩く。素晴らしい天気で暑く、湿度もかなり高い。西塔門の枠の中にまるで額に入った絵のようにあの中央尖塔が1つだけ見え始めた。門を抜けるとついに伽藍の全体が数百メートル先にパノラマのように広がっている。素晴らしい建築の演出だ。伽藍は第1から第3と3重の回廊の上にプロポーション良く配置された5つの尖塔を持つピラミッド状に造られている。回廊の壁や柱を埋め尽くすように多くの女神像デバターが浮彫りにされている。表情も微妙に違っている。

第1回廊の壁にはヒンドゥー教の神話、王族家同士の戦闘の物語「マハーバーラタ物語」、ラーマ王子と悪魔ラーヴァナの戦い「ラーマーヤナ物語」やアンコール王朝の歴史絵巻などが繊細に浮き彫りにされている。第1回廊の門を通りぬけると第2回廊との間に十字回廊があり、ここに前述の日本人侍の落書きがそのまま残されていた。

次に第3回廊へ行くがこの階段が実に急勾配なのだ。その中でも一番登り易い階段を選び下を見ないで登る。上から見ると階段が見えないほど急で怖い。お客が多いときは登れないこともあるとか。じっくり見てまわるためには結構階段の上り下りが多くかなり疲れる。

とうとうアンコールワット遺跡の中心まで来てしまった。尖塔の中に今は仏像がお祭りしてある。景色も開け遺跡の周囲にはうっそうと木が茂っている。発見前はここもジャングルに覆われていたのだ。そして最近までポルポト派の基地になっていたため所々に銃弾の後もある。暑い中快い風が吹き抜けていく。しばらくの間歴史に浸る。

今度は急勾配の階段を手すりにつかまってゆっくりと降りる。何時の間にか下にはツアー客が集まってきており、我々が無事に降りると一斉に拍手をしてくれた。子供達が私のビデオを見て珍しそうに寄ってきた。日本の中学生ぐらいのお坊さんも一緒に。撮影して見せてやると喜んでくれた。写真も写ったことがない子が多いそうだ。

ガイドさんは神話をまじえながら、時には「ご先祖様はえらい」と誉めながら実に詳しく丁寧に説明してくれた。写真のベストスポットでは何枚も撮ってくれた。良いアルバムが出来るだろう。実際に目で見るアンコールワットは写真や言葉では言い表せない壮大な遺跡だ。

ロイヤルクラウンホテルへチェックインし、レストランで昼食をとる。休憩後今度はアンコールトムの観光へ。アンコールトムはジャヤヴァルマン7世が12世紀末から13世紀初頭にかけて造った城塞都市で、周囲12Kmの城壁内には王宮や寺院などが配置されている。

観世音菩薩面を持つ巨大な南大門を通り中へ入っていくと中心に
バイヨン寺院がある。ジャヤヴァルマン7世は王朝始まって以来の仏教に深く帰依した王様で、ここは仏教寺院である。中央には観世音菩薩の顔を四面に彫刻した多くの仏塔がピラミッド状に建っている。顔は微笑をたたえ、近くに行くとその大きさに驚く。

アンコールワットとは随分雰囲気が違う。回廊にはクメール軍とベトナム中南部に栄えたチャンパ王国軍との激しい戦闘模様や市場の風景など当時の庶民の日常生活がリアルに浮彫りされている。このときアメリカ人と思われるツアー客がドッと押し寄せてきた。ガイドさんによると夕方5時を過ぎると料金所が閉まるためこの時間に来るお客も多いそうだ。

今日はシアヌーク殿下が退位され子供さんへ王位を譲る式典が実施されているため休日になっているそうで、多くのカンボジア人が遺跡の見学に来ていた。内戦や貧困のため多くの人が自国のアンコールワットをまだ見たことがないそうだ。

10月30日 周辺遺跡の見学とサンセット

アンコールトム内の王宮跡へ。王宮の建物は木造だったため今は何も残っていない。王宮前の広場に面した石のテラスは象とガルーダの彫刻がしてある壮大なもので象のテラスと呼ばれている。王がここで凱旋してきた兵士を閲兵したところだ。ガルーダとは体が人間で頭と両手、両足が鷲と言う生き物でインドネシアのシンボルとして有名である。

宮殿の敷地内に入るとお土産売りの子供達に囲まれる。最近はゆっくり遺跡を見てもらうために場所が限定されているようだが、それでも行く先々で寄ってくる。2、3才の小さな子供達に絵葉書などを「1$、買って」と言われるとついつい買ってしまう。貧困の人が相当多いとのこと。

次にバイヨン寺院に並ぶバ
プーオン寺院を見学。アンコール遺跡は日本をはじめ色んな国が分担し修復がすすめられている。ここはフランス担当で現在中には入ることは出来ない。250mにも及ぶ円柱列に支えられた空中参道が美しい。

続いてタ・ケウ遺跡を見学。ジャヤヴァルマン5世によって建設が開始されたが王の死によって未完成のまま放置されたピラミッド型寺院。そのため外壁に一切彫刻がなされていない。

次にジャヤヴァルマン7世によって建設されたタ・プローム寺院へ。 密林の中から発見された当時のままで残されている遺跡として有名。屋根や壁に大蛇か巨大なタコのようにスポアンの大木の根が這いまわり寺院を崩壊させている。自然の脅威を見せられる。お昼の休憩後はプリア・カンニャック・ポアンの遺跡を見学する。

夕方アンコール観光での目玉の1つサンセットを見るためプレ・ループ遺跡へ。遺跡の上段に登っていくとすでに多くの人が集まっていた。真っ赤な太陽が西のジャングルに沈んでいく。なんと神々しく、美しい光景だ。ところがここでビデオとカメラ両方の電池が切れ始めた。大変だ。何とか数枚は撮れたが。

今夜はカンボジア伝統の「アプラサの踊り」を見ながらの夕食だ。6:30の開演だがその前にバイキングスタイルの夕食をとる。ガイドさんの顔で席も後ろから最前列へ。9世紀頃に生まれたこの踊りは昔から神への祈りとして捧げられたり、王宮のお祭りで踊られたもので、まるで遺跡の中から女神達が飛び出してきたような美しい娘さん達がきらびやかな伝統衣装で踊る。実に素晴らしい。約9割の先生や踊り子達がポルポト派の処刑の対象になったそうだが、数人の先生により息を吹き返したそうだ。