・12月20日(火) アウシュビッツ収容所 

朝食はハムやサラダ、飲み物など種類も多くとても美味しい。8:40発のバスでアウシュビッツ収容所へ向かう。クラクフの西54kmの所にある町オシフィエンチムの郊外に収容所はある。乗り合いバスで乗客は少ない。雪が降り出してくる。一面雪景色で道路にも積もっているがバスはスピードを出して走る。これぐらいの雪でバスが止まることはなさそうだ。約2時間で到着する。

最初は政治犯などが収容されていたが、やがてユダヤ人滅殺計画の場となる。ここで殺された人の数は28の民族、150万人に上ると言われており、現在博物館として一般に無料で公開されている。先ず記録映画を見てから収容所へ。施設は鉄条網で囲われ、入口には「
ARBEIT MACHT FREI 働けば自由になる」と書かれているのが空しい。収容所内には28の囚人棟があり残された証拠が展示されている。

衣服、トランク、ブラシ、靴などナチスが収容者から没収した山の様な生活用品が公開されており、中でも人間の髪の毛で作ったカーペットなどの織物には驚かされる。同じ部屋には髪の毛が積み上げられている。三つ組みの髪が痛々しい。また犠牲者の写真が壁を埋めつくしている。

収容所入口 死の壁

囚人を閉じ込めた監禁室や鞭打ち台、絞首台などがそのまま残され、銃殺用の壁「死の壁」には花が飾られていた。何人も一緒に休んだ蚕棚みたいなベッド、見るもの見るもの人間扱いではない。人間はどうしてこんなに残酷になれるんだろうか。降りしきる雪の中を見学してまわったがものすごく寒かったんだろうな。

最後にガス室へ。天井にはシャワーみたいな配管がされ実際はチクロンBの毒ガスが吹き出た部屋、隣には死体を焼いた焼却炉、まるで地獄図で胸が痛む。私達はこの事件を決して忘れてはいけない。平和を願うばかりだ。

14:00のバスでクラクフへ戻る。雪がどんどんひどくなってくる。到着後旧市街を少し歩く。1386年から1572年までポーランド王国の首都として栄えたこの町はドイツ軍の司令部があったたが景観を守るため爆撃を免れ歴史的な町並みはユネスコの世界遺産に登録されている。

雪の中城壁のフロリアンスカ門をくぐり町の中心地中央市場広場まで歩く。ここでもクリスマスマーケットが開かれている。今日はこれぐらいにしてホテルへ帰る。夕食はポーランド名物の餃子風ピエロギと少し酸い味がするジューレックスープ。

・12月21日(水) ヴィエリチカ岩塩採掘場とヴァヴェル城  

ヴィエリチカ岩塩採掘場へ行くためバスセンターへ。ところがそんなバスはない?ガイドブックには10分毎にミニバスが出ていると書いてあるのに。急きょ列車で行くことに。駅から雪道を5分ほど登っていくと見えてきた。約1000年の間稼動しているこの採掘場は世界有数の規模でユネスコの世界遺産にも登録されている。一時はポーランドの財政を支えていた。

10:00のツアーに参加する。ガイドについて木の階段を延々と降りていく。地下通路の壁や天井には塩の結晶がびっしりと付いている。塩で作られた採掘工などの像が展示してある。木の階段を更に下へ下っていくと大きな地底湖が現れる。圧巻は巨大な空間を利用した礼拝堂、豪華なシャンデリアや壁の絵、祭壇も塩で作られているそうだ。以前テレビの番組でナチスから絵画を守るため岩塩採掘場の中に隠したと言う話を思い出した。

岩塩採掘場地下道 巨大な地下礼拝堂

鉄道は帰りの時間までかなり時間があるのでバス停を探すことに。数人に聞くが英語が話せる人が少ない。おばさんが身振り手振りで教えてくれた。途中で振り返ると未だ見ておりもっと先だ!と大きなジェスチャー合図をくれた。随分離れたところに無事バス停を発見。例のミニバスに乗車しクラクフへ。発着所は町中にある郵便局の前だったのだ。

ポーランド王の居城として有名なヴァヴェル城へ。旧市街の南側高台にあり坂を登り城門を中へ入ると大聖堂旧王宮が並んで見えてくる。大聖堂では歴代王の戴冠式が行われ、そしてここに眠っている。

ヴァヴェル城 大聖堂

ポーランドに日本美術のマニアがいた!故フェリクス・マンガ・ヤシェンスキーさんが収集した約7000点のコレクションを展示した所がここクラクフにあるのだ。日本美術技術センター「マンガ館」だ。日本の協力で出来たものでその中心は浮世絵、安藤広重や葛飾北斎など日本ではめったに見ることが出来ない絵が展示してあった。

日本美術技術センター 広重の浮世絵