・3月13日(火) ヒンドゥー教の聖地バナーラス
早朝相方がトイレに行っている間一瞬うとうととしていると私のベッドの前で男が何かしている。思わずナンダー!と声を出すと男もあわてて「ポリス、ポリス」と言って胸から警察手帳を取り出して見せる。今度はベッドの上段にいたインド人と思われる男性を連れて行った。
聞くところによるとなんでも隣の部屋のお客のテレビが盗難にあったらしい。列車での盗難は多発しているらしいが個室のテレビまで盗むかな?
同室のインド人男性は30才でサウジアラビアに出稼ぎに行っており久しぶりに帰省しているそうで、未だ見ぬ6ヶ月の娘に会うのが楽しみだと話していた。
朝9時予定より2時間遅れでバナーラス駅に到着。ホテルからの迎えが来ていた。ホテルには卒業旅行らしい日本人学生が結構泊まっている。
午後郊外約10Kmにある遺跡サールナートへ。ここはブッダ(お釈迦様)がブッダ・ガヤで悟りを開かれて初めて5人の弟子を前に説法をされたところ(初転法輪の地)で仏教徒の聖地である。ツアーはノルウェーのオスロから来た女性と3人、お父さんが駐インドノルウェー大使をしておられた14年間インドで暮らしたそうだ。
考古学博物館を見学して遺跡に入る、我々も仏教徒なので身が引き締まる。アジア系と思われるグループなどが参拝に来ていた。
周辺には日本寺をはじめ各国の仏教寺院がある。隣にあるムールガンダ・クティー寺院には日本人画家野生司香雪(のうすこうせつ)が戦前に書いた「ブッダの生涯」の壁画が壁いっぱいに描かれていた。
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サールナート遺跡と仏塔 | ムールガンダ・クティー寺院 |
明日早朝のガンガーボートを予約する。到着時二人で600Rsと言っていたが450Rsまで落としてきたのでOKする。
・3月14日(水) 聖なるガンガー
雄大なガンガー(ガンジス川)のほとりにある古い町バナーラスはヒンドゥー教最大の聖地である。「ガンガーの聖なる水で沐浴をすればすべての罪は浄められ、ここで死に遺灰がガンガーに流されれば輪廻からの解脱を得る」と言われており年間100万人以上の巡礼者が訪れる。河沿いには60ものガート(階段状の沐浴をする場所)がある。
5時に起きてロビーへ。昨日のノルウェーの女性と日本人学生2人と一緒。車でガートまで行きボートに乗り換える。ガートの後ろにはホテルやゲストハウスなどが迫るように建っている。下流にはヒンドゥー教の火葬場もあるが今日はまだ焚き木の火が見えない。太陽が上がり始めガンガーとガートを照らし始める。
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ボートから見るガート | 沐浴をする巡礼者 |
上陸し小道を牛や糞を避けながら信仰の中心地ヴィシュワナート寺院へ。中には金箔で覆われた黄金寺院があるが信者しか中には入れない。良い天気で沐浴する人やボートの観光客も増えてきた。
ホテルへ帰り朝食をとる。あらためてガートへ行って見ることに。ホテルの前でリクシャーをひろう。10Rsで行ってくれるが、結構遠かったので20Rs払うと喜んでいた。
ガート沿いを歩いていると中学生位の男の子が上手な日本語で話しかけてくる。兄さんがお土産屋をしているのでぜひ寄ってくれと盛んに誘う。警戒が必要だとは思ったがあまりに熱心なので行ってみる。路地に入ったところにあるサリーなどを売る小さな店で日本人の学生が数人来ていた。お茶を出されるが買う気はないのですぐに出る。
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商店街 | 露天の野菜屋 |
しばらく道路沿いを歩いてみる。ごみごみした道路に多くの店が並び混雑している。トマトや卵などを買って再びリクシャーでホテルへ。叔父さんは近道をしたつもりが道に迷いとんでもない遠回りになる。道の悪い中一生懸命自転車をこぐおじさんには気の毒になる。
いよいよ明日はインドともお別れだ。
・3月15日(木) バラーナスからネパールの首都カトマンズへ
ホテルの車で空港へ。こじんまりした空港だが一応国際線なのでチェックイン後出国の手続きをして中に入る。そこで預ける自分のバッグを再確認させられ機内積み込みへ。担当者が自分はポーターだからチップを払えと催促してきたがおかしいので無視する。人気のコースらしくスペインからのツアー客などでインディアン航空エアバス320は満席だった。
ビートルズが生まれたイギリスのリバプールから来た夫婦は2週間のネパール旅行で1週間はヒマラヤでトレッキングをするそうだ。
12:30飛行機は離陸、機内食としてジュースと軽食が出る。インドの広大な大地を見たかと思うとあっという間にネパールの山岳地帯に入り、1時間たらすでカトマンズの空港に着陸する。
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インディアン航空エアバス320 | 機上から見るネパールの家々 |
空港でビザを取る必要がある。入国とビザの書類を書いて入国に並ぶ。約1時間待たされたがラッキーなことに現在日本人はビザ取得料30US$が要らなかった。
空港にはホテルチベットゲストハウスの迎えが来ていた。カトマンズの町はインドよりは少しきれいだ。また比較的静かで少しホッとする。チベットゲストハウスはホテルやレストラン、お土産屋などが集中するタメル地区にあり便利なところだった。
ホテル内のツアーデスクで17日からのポカラ行き航空券と現地ツアーの予約をする。夕食はホテルのレストランで、夕方から停電しておりローソクの光で食事。インドでも停電は多かったがここでは定期的に停電があるらしい。結局一部非常灯を除いて朝まで続く。
ネパールでは国王と反政府勢力との対立が続き政情不安で地方ではゲリラが出没していたが、最近国王との間に和解が進みこのところ安定している。
カトマンズは標高1400mにあるが以外にも年間を通して比較的暖かい。さすがに夜は冷えてくるので部屋には暖房がついている。
・3月16日(金) カトマンズ市内観光
朝から歩いてダルバール広場へ。昨日の雨で足元は悪い。途中いくつかのチョーク(市場)を通るが、すでに多くの人で賑わっていた。
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朝の市場風景 | 活気溢れる市場 |
ダルバール(宮廷)広場の入口には料金所があり、外国人旅行者は入場料1人200Rsを払って広場の中へ入る。ここは旧王宮や寺院に囲まれたカトマンズの中心地である。太陽が上り温度も上昇し気持ちよくなってきた。
広場には中央のシヴァ寺院をはじめ多くの寺院がある。これら寺院は傷みが激しく世界危機遺産に指定され、現在日本など各国の協力で修復が進められている。
クマリの館には女神クマリの化身として崇拝される少女が住んでいる。少女は家柄正しい幼女の中から選ばれるが、お祭りの日には国王もひざまずくそうだ。
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ダルバール広場と修復中のシヴァ寺院 | クマリの館 |
シヴァ・パールヴァティー寺院の上層部ではシヴァ神とパールヴァティー妃のカップルが寄り添って人間の街を見下ろしている。
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シヴァ・パールヴァティー寺院 | シヴァ神の化身カーラ・バイラヴ |
再び大勢の人で賑わう市場街を歩いてタメル地区へ。昼食は日本食レストラン「ふる里」でとるが、久しぶりにしょうが焼き定食とカツ丼とても美味しかった。カトマンズには日本食のレストランが多く、日本人が良く来ている。
ホテルで休憩後歩いてスワヤンブナート寺院へ。カトマンズの西側小高い丘の上に見えていたが歩き出すと結構遠かった。息を切らして最後の急な階段を登るとカトマンズの町の眺めが開けてくる。ネパール最古の仏教寺院と言われ参拝する仏教徒が絶えないそうだ。
帰りはバスに乗ってみることに。様子を見ていると小型の古いマイクロバスがどうやらバスらしい。タメルに行くかを確認して乗る。満員で発車し、歩いて来た道を引き返すが途中から大きく迂回して全く道が分らなくなる。タメルで降りれば何とかなるだろう。隣のお客さんに教えられあわてて5Rsを払って降りるが今どこにいるのか全く分らない。幸い日本語の上手な女性と出会い。丁寧に教えてもらう。
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紅茶などを売っている | スワヤンブナート寺院 |
ホテルで明日からのポカラ行きのバウチャーを受け取る。
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